今年で結婚して3年目を迎え、夫婦仲良く暮らしていますが、私たちの元にはなかなか子供はやってきてくれません。
結婚しすぐに妊活が始まり、うまくいかないことばかりで落ち込む日も多く、インターネットで自分と似た状況の人の意見を探すことも多々…。
今妊活に取り組んでいる方の参考になればという思いから、今回私が行ってきた妊活について振り返っていきたいと思います。
いつの間にか妊活がスタートしていた
私の場合、結婚する前から不正出血や生理不順の症状があったので、婦人科へ行かなければという思いがありました。
でも、こんなこと誰にでも起きていることだから、と楽天的に考えていました。
病院に行こう
結婚して生まれ育った町から遠方へ引っ越しをし、新しい生活のストレスなのか、不正出血が続きました。
この時に早く婦人科へ行かなければと強く思ったものの、どこの病院へ行けばいいのかということが分かりませんでした。
一先ず、家の近くにある婦人科系の病院をインターネットで探し、女性の医師が対応してくれるという病院を見つけ、そこに行ってみることにしたのでした。
診断は多嚢胞性卵巣(PCOS)
結婚前から基礎体温は付けていたので、基礎体温表を持って病院へ行きました。
ちなみに、この時の私の基礎体温表はかなりガタガタ。2層に分かれるって本当なの?と思うくらい、何も分からないグラフでした。
病院で内診と血液検査の結果、私の卵巣には複数の卵子があり、「多嚢胞性卵巣(PCOS)」という診断が出ました。
PCOSというのは、通常一個しか成長しない卵子が、複数同時に成長してしまっている状態で、このせいで無排卵や生理不順が起きるということでした。
気が付けば妊活スタート
この時に当帰芍薬散という漢方を処方され、リズムを整えることになり、定期的に通院して私のリズムを先生に把握してもらうようにもなりました。
生理の度に病院を訪れ、時にはルトラールやデュファストンなどの薬を処方していただき、リズムを整えていきました。
特にタイミング指導はしてもらっていませんでしたが、しばらく通っている内に「これが妊活というものなのかな?」と気づきました。
通院が当たり前になっていましたが、この時はすぐに子供を望むことができると思っていたので、まだ妊活だと思っていませんでした。
夫婦で妊娠・出産について話し合う
気が付かない内に妊活っぽい生活はスタート。
しかし、なかなか授かる気配はなく時が過ぎるだけで、「あれ?」と思うようになっていきます。
そして、夫婦でも子供について話し合うことが増えていきました。
夫婦で話して気が付いたこと
通院して一年目は、まだ結婚式を挙げていなかったということもあり、どこか流されるように薬を飲み、通院していた私。
通院後は主人にその日の様子など話すようになり、基本的な女性の体についての話や、子供について、将来について、そして何よりも自分の症状についてしっかりと話すようになり、もしかしたら簡単にいかないのでは?と気づき始めました。
それから、夫婦の間で子供を持てるように努力をしようという話になりました。
転院しよう
今までよりももっと食生活や生活習慣について考えて、子供を持てるように努力しようと決めてから、病院の医師にも「真剣に子供を望むようになりました」と伝えることにしました。
しかし、この時通っていた病院では詳しい検査ができないということが分かったので転院をすることを考え始めました。
また、今通院している婦人科では出産する際に結局転院するのだろうと思い、妊娠するサポートから出産まで面倒を見てもらえる産婦人科へ転院することを決めました。
本格的に治療スタート
転院先の医師は男性で、これまでの経過について話したところ、先生からはPCOSでも妊娠は可能で、6か月試してみたら結果が出ると言われたので、私は半年後には妊娠しているのかもしれないとふわふわとした気持ちでいました。
ただ、改めて血液検査や他の検査を行い、他に障害となっていることがないかということを確認するとも言われたので、私が意識して妊活をスタートしたのはこの時だったのかもしれません。
改めてスタートして考えさせられる
転院した先では、夫婦ともに不妊の原因を調べる検査を行いました。
改めて妊活を決意して、夫とも深い話をするようになり、やはり妊活は夫婦二人で行っていくものなのだと気づきもしました。
夫の協力と不妊検査
改めて検査をして、問題を把握することになり、夫は精子の検査を行いました。
この時夫は協力的な半面、悪い結果が出たら?という不安も強くあったようです。ただ結果は特に異状がなく終わりました。
私も卵管通水検査を行い、卵管が詰まっていないかなどを検査しましたが、特に問題は見つかりませんでした。
様々な検査の結果、私のPCOSの症状が不妊理由だということを自覚させられるのでした。
見えないプレッシャー
幸いなことに私の両親も主人の両親も何も孫について話すことはありませんでした。
しかし、何も周りが言わないからこそ、私にとっては早く子供を産まなくてはという意識は通院する中でどんどん大きくなり、プレッシャーとして勝手に捉えるようになっていました。
また、身内がおめでた婚をしたことがきっかけに感情は爆発し、「自分と同じくらいの年の人が、すぐに妊娠・出産ができるのに、どうして自分はできないのか」「両親や義理の両親に孫を見せたいのに、できていない」という現実をはっきりと突き付けられた感覚になりました。
本当に子供が欲しいの?
落ち込む日々の中で、私の体は排卵が上手く行えていないということが分かるようになります。
そこから医師から人工授精ではなく体外授精を薦められるようにもなりました。
なんとなく婦人科へ通うようになり、子供を持てる努力をしてきましたが、費用も体への負担も大きくなる体外授精をするほどまでに子供が欲しいのかと改めて考えるようになりました。
これは夫婦の中で未だに結論は出ておらず、体外授精に進む決意が持てていません。
まとめ
これが現在までの私の妊活の歩みです。
焦る気持ちや、自分が勝手に作ってしまったプレッシャーも時折感じますが、焦っても仕方ない現状を冷静に受け止められるようになった今、夫婦だけで過ごす人生もあるのだということも冷静に考えられるようになりました。
妊活中、思うような結果が得られなかったり、周りと比較してしまうこともあると思いますが、あるがままを受け止めていくことが大切なのかもしれません。
現状を受け止めて、夫婦で笑顔で過ごせるようにして良ければいいかなと思っています。